よしなしごとダイアリー

日常のあれこれをああでもないこうでもないと考える

ご用意してございます

最近は売り場のアナウンスでマネージャーが自ら読み上げることが多くなった気がします。


衣料品のマネージャーが若くて元気がいいんだけど、


「只今のお時間より、15分間のみのタイムセールとして、売り場のコーナーの商品を全品半額!全品半額でございます!
お買い得の品を沢山ご用意してございます!ぜひこのチャンスをお見逃しなく、2階衣料品売り場にお越しくださいませ!」


と力いっぱい放送で言うので、その言葉づかいはなんなんだ、と思ってしまうのですね。


「ご用意してございます」


って、おかしくないですか。


「お/ご〜する/いたす/申し上げる」は謙譲語です。「ご用意する」はお客様の為に用意しました、と自分の行為を下げて言っているわけですね。自分の動作に対して言っている言葉なのに最後に「ございます」で持ち上げているので、おかしいわけです。




正しい言い方なら「ご用意しております」で、


私の感覚だと、普通に「用意しています」でも充分です。


ああ、ちょっと物足りないですか?

講演料はおいくら?

【ギャラランキング】


「150万-200万円」 が「がばいばあちゃん」で人気の島田洋七。年間講演をこなすとか。アグネス・チャンも100万円とか。


そのほかは


■特S130万-160万円 桂文珍



■S100万-130万円 田原総一朗 浜田幸一 アグネス・チャン なかにし礼 花田勝 松居一代 西川きよし 草野仁 福留功男



■A80万-100万円 ケーシー高峰 宮川花子 小谷実可子 野口健 由美かおる 大山のぶ代 佐々淳行 中島誠之助



■B50万-80万円 三宅久之 衣笠祥雄 益子直美 大林素子 木場弘子 柳生博 西川ヘレン 浜美枝 ジョージ・フィールズ 海原純子 金美齢



■C30万-50万円 逸見晴恵 松野明美 辛坊治郎 露木茂 加藤みどり 香山リカ 杉山邦博 樋口恵子 平尾誠二



■D10万-30万円 三反園訓 塚原光男 田慎一郎 志方俊之



■別20万-150万円 C・W・ニコル 海老名香葉子 向井亜紀 高木美保 西川史子 石原良純 田嶋陽子 畑正憲 板東英二 (パワービーンズ社見積額)



 パワービーンズ社(講師派遣業)


長い箸の食堂

和風バイキングレストラン「柿安三尺三寸箸」の敷き紙にはこんな文章が書いてあるそうです。

昔、在る人が極楽を覗くと
極楽には、食卓の上に
すばらしいご馳走と長すぎて食べづらそうな
三尺もある箸が
置かれていました。
どのようにして食事をするのかと
興味深く見ていると、
三尺の長い箸でご馳走をつまむと
自分の口へ運ぶのではなく
向かい合っている相手の口へ運び
食べさせてあげていました。
相手も同じようにしてあげていました。
それはそれは楽しい食事風景でした。
”他人のために生きることによって、
自分も幸せになれる。”
という仏の教えが
「三尺三寸箸」の店名の由来です。

バイキングのお店でそんなこと言われたくないよなー、と思わないでもありません。

このおはなしい、極楽ではこのように楽しい様子ですが、地獄では長いお箸を譲り合わずに阿鼻叫喚の食事風景が繰り広げられるものだそうです。地獄と極楽の対比ですね。わたしの子供のころには聞いたことがなかったのでこの2、30年で広まってきたいわゆる「いい話」なんでしょうね。

「お道・天理教はわが身可愛い心を否定し、「互い扶けあい」を強調します。現代風に言えば自分も相手も共に勝つ互恵関係の「WIN-WIN」です。さらに申せば、近江商人の言う「お客」「社会」「自分」の三方が利益を得る「三方得」が商人の心得であり、亡き山田無文老師の「長い箸の食堂」の法話でしょう。
 この法話では、長い箸が括られた人間が食事をしている2つの食堂の姿が語られています。長い箸でしか食べ物を口にできない条件のもと、福よかで幸せそうな極楽食堂と、やせ細り眼がぎらついた地獄食堂の2通りの世界ができているという説話です。同じ条件なのに大きな違いが出るのは、一体何故?
 それは地獄食堂の住人は、自分だけが食べ物を手に入れようと長い箸でご馳走を掴むのですが、長すぎて口に届かず永遠に食べることができないでいる。反して極楽食堂の住人は、同じように長い箸で食べ物を掴むまでは、地獄の人間と同じですが、そこからが違います。掴んだ食べ物は自分の口に入れようとするのではなく、他人の口に入れる。そして同じような心を持つ他人も、必ず自分の口に食べ物を入れてくれる。それは自分の空腹を我慢して、他人を助ける自己犠牲を伴う欺瞞的な助け合いの世界ではではありません。」

天理教こうずい分教会より

地獄でもちゃんとご飯が提供されるあたり現代風ですね。

で、山田無文というおかたはどなたでしょうか?

「山田 無文(やまだ むもん、1900年7月16日 - 1988年12月24日)は昭和期日本の代表的禅僧。チベット探検で有名な河口慧海を頼って出家するが、あまりの厳しい生活に結核になってしまったというエピソードもある。わかり易い法話で親しまれた。」(ウィキペディアより)



晩年になってからのご本です。

「暦と日本人」

「暦と日本人」(内田正男著)をひもとくと、



今使われている太陽暦に変えられたのが明治6年です。この辺りは実にあわただしく改歴のお触れが出たので、実は公務員の月給を1カ月節約するためだったと言われてます。



「明治5年の改暦の詔書によって、それら(暦注のこと)は妄誕無稽(もうたんむけい)として一挙に禁止され民衆の間からほぼ消えさっていった。迷信禁止の網の目をくぐり、明治10年代の後半ごろから、いつの間にか1枚刷りの暦などに恐る恐る登場してきたのが、この六曜なのである。」



六曜の由来

六曜星は暦には載っていなかったけれど、江戸時代に全然なかったわけではない。もともと、この原型は、多くの迷信と同様に、中国生まれで、中国で小六壬(しょうりくじん)と呼ばれていた。



小吉・空亡・大安・留連・速喜・赤口



の6つを今の六曜のように配していたが、根拠のない?迷信として中国では数百年も前に暦書から姿を消したものと言われている。

 これが鎌倉時代の末期頃に伝えられたのがすこしづつ字を変え、いつのまにか今のように変形してきたものである。ほぼ現在を同じものが出ているもっとも古い文献は延享4(1747)年編の『万暦両面鑑』であるが、仏滅は物滅と書かれている。



本書にこれからもたびたび引用する『循環暦』という有名な暦注解説書を、正徳2(1712)年に書いている小泉松卓の『頭書長暦』には、大安則吉の日取のことと言う項があって

大安(吉日)・立連(悪日)・速吉(善日)・赤口(悪日)・小吉(幸日)・虚妄(悪日)

の6つを六曜と同様に配当することになっていた。

 ずっと下って『安政雑書万暦大全』にも、仏滅が物滅になってる以外は現在と同じものが示されているが、他の暦注と比べて六曜の文献は大変少ない」



「旧暦で読み解く日本の習わし」によると、六曜の変遷は次の通り。



中国式六壬時課 大安(泰安)・留連(るれん)・速喜・赤口・小吉・空亡

日本 頭書長暦 大安・立連(るれん)・速吉・赤口・小吉・虚妄

日本 安政雑書 先勝・友引・先負・物滅・泰安・赤口

日本 現在の暦 先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口



赤口」というのだけはなぜかずっと変わってませんね。赤の字が入っているので、血を連想して刃物に注意と言われたりするそうですが、安政雑書によると、

「此の日もあく日なり、よろず忌むべし、ただし、うまのとき1ときさわりなし」

なんだそうです。

「うまのとき」というのは午前11時〜午後1時のあたりです。暦によっては『正午だけ吉』などと書いてあるのはこのためでしょう。


暦注が禁止になると暦販売の業者さんが書くことがなくなって困るので、こそーり六曜など拾いだしてきたわけです。旧暦だといまの7曜日と同様にが六曜が繰り返されるだけですが、太陽暦に組み込むことで旧暦の一日ごとに順番が変わるのが魔術的で由所ありげに見えて、人気を博しました。




むかし暮れの市や正月の露店で大人たちが「高島暦」などを買い求めるのを不思議に思いましたが、こういったものの需要ってあるんですよね。今は言論の自由がありますから、迷信だからと言って本の出版を差し止めることはできませぬ。

わが目を疑え!「だまし絵展」

だまし絵

兵庫県立美術館で開催されている「だまし絵展」に行ってきました。
アルチンボルド歌川国芳エッシャーや福田繁男などおなじみの作家の作品と、トロンプルイユというだまし絵の特集でした。今回のエッシャーの「モザイク?」はエッシャー展で購入した図録にもなかったものですが、横浜美術館の収蔵品でした。


ま〜それはよかったんですが、朝家を出るときにしっかり鍵をかけて出てきたわけです。鍵かけないで出かけると、あとであそこがあいていたわよと、お義母さんにチェックされるし。


そしたらですね、今朝はお義母さんがお医者さんに行って出かけていたのに、鍵をもっていなかったので、締め出してしまったという・・・・。いつも鍵を持って出かける義母が今日に限って持っていなかったし、玄関脇の植木鉢にも鍵を入れていなかったという最悪の事態。近所の岩本さんちにおじゃまして急場をしのいだそうでございます。


あいすみません。いたらないヨメでまことに申し訳ないかぎりです。

「ご報告してください」

本部からの文書を読んでたら、


「〜ご報告してください」


ですってよ。おかしいですよ!?こんな日本語ないよね!?


「ご報告ください」
「報告してください」
「ご報告願います」
はOKですが、コイツは引っかかるなあ。


何がおかしいかというと、
『ご〜する』という謙譲語と、『ください』という尊敬語が一緒になってるからです。


あなたが上司に向かって「ご報告します」というのは間違ってません。目上の人に対してへりくだっていることになります。


この場合、『報告する』のはワタクシ側ですが、これを謙譲語にして『ご報告して』となっているので、聞いてるこちらが居心地が悪いわけですね。


そんなことここで言ったって、今どきの若い兄ちゃんの敬語の使い方がなおるわけじゃあるまいし。


でも言ってみました。

給湯器にカバーが付きました

カバー

先月はたびたびお湯が出なくなって困った給湯器、13日には雨も降らないのに電源が落ちてお湯が出なくなりました。ええ〜、レンジフード洗ってたのに!お湯でないときれいになんないじゃん!スイッチはいんないし。


「またかいな・・・」


家の外に出てコンセントを引っこ抜いて差し込む、スイッチオン。ところが、お湯を出そうとするとふっと消える。もう1回外に出て(以下同じ)。


あきらめてまた24時間受付コールセンターに電話しました。そしたら先月も一度修理にうかがってますね、だって。1回じゃない、3回だと訂正しておきました。


昨日になって明石の修理センターから連絡が入って、
「本社のほうで排気カバーを取り付けるのが良いのではないかということで、部品を取り寄せてますので、明日そちらに伺います」
ということでした。
「これで雨が入らないと思います」とも。
「でもですね、雨も降ってないのに電源が落ちるのは何でですかね」と私。
「それは、残っていた水分が蒸発して内部に・・・」
ソウナノカ?


で、排気カバー取り付け完了ですよ。ものものしいですね。
風雨が強いと給湯器が付かなくなるのは普通なんでしょうか?
うちが文句を言ったからこんなものをつけてくれたんでしょうか?