よしなしごとダイアリー

日常のあれこれをああでもないこうでもないと考える

「『どんぐりの家』のデッサン」山本おさむ著

障害者を描いたマンガ「どんぐりの家」に至るまでの過程、その製作について詳しく書かれています。


聴覚障害者が手話を使うのは当たり前で、手話を習っている人も多いことでしょう。


手話で思い出すのは、かつてTVで武田鉄矢が大学時代にたいへん尊敬する先生がいたという話をしていたことです。武田鉄矢は教大教育学部の「聾(ろう)学校教員養成課程」に入学し、勉学にいそしむわけですが、そこで出会った聾学校の先生が、生徒に対したいへん厳しく読唇術を学ばせるのですね。お前たちはこれから社会に出て健常者と一緒に暮らすのである、そのために口語を学ばなくてはいけないのだと自ら泣きながら学ばせるのであると。すべて生徒たちのためなのだといってその崇高なる精神に感動したというわけでした。(だいぶ前のことなので記憶が少々違っているかもしれません)


その話を聞いてともに感動したというわけではなく、わたしは違うことを思ったのでした。障害者はそんなにまでして健常者と同じことをしなくてはいけないものなのでしょうか。手話には手話の世界があり、豊富な言葉があるのです。相手の顔を見て唇の動きで言葉を読み取るなど、熟練の技で、一朝一夕に身に付くものではありません。なぜに聾学校ではそんなに厳しい指導をしなくてはならないのかと心を痛めたものでございます。


この本にその一端が書かれていました。大正昭和初期、ろう学校では手話は純粋口話法の妨げになるとして排除されてきたのでした。
「しかし、時代の風は口話主義者たちに吹いていた。当時の社会は、障害者を全くの無能者とみなし、「社会のお荷物」「穀潰し」「前世の因縁」などと言って公然たる差別が横行していた。口話主義者はこのような障害者観に反旗をひるがえすことはなかった。社会と同じように、ろう者を正常でないものと見たのである。そのうえで、正常な(健聴者の)コミュニケーション方法である喋る、聴く(かわりに読唇)という方法をろう児に徹底し、もって社会の蔑視を緩和し、ろう児を健聴児に近づけ、正常化することによって社会に受け入れてもらおうとしたのである。手話に対する嫌悪は、そのまま障害者に対する嫌悪であり、それは意識するしないにかかわらず、このような障害者観に基づいているといわざるを得ない。」(一部引用)


口語教育の父と言われた西川吉之助は、娘のはま子に口語教育を施し、成功したことでこの教育法を推し進めていったのですが、はま子には残存能力がかなりあり、また父親のマンツーマンによる熱心な教育で奇跡的に習得できたといってよいでしょう。そうではないほかの大多数のろう児は手話もできず口語も不十分なままで教育を終えることになったのでした。