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よしなしごとダイアリー

日常のあれこれをああでもないこうでもないと考える

正座は正しい座り方なのか

ゆうべTVを見ていて、正座はいつから日本人の正式な座り方になったのかという疑問にいたりました。


私「正座っていってもあれ近年のものだよねー」
ダンナ「時代劇で戦国時代なんか女の人は正座してるよ」
私「いや、昔のひとは正座なんてしてない、立てひざか胡坐よ」
ダンナ「女の人もか?」
私「ほら、昔の絵巻物とか見ても正座の絵なんてないでしょ?」
ダンナ「十二単の下はどうなってるの」
私「そりゃ見えないもの、なんだってOKよ」


http://www.kobe-gionjinjya.com/items.html
祇園神社」(第2回  『円座(えんざ)と畳』)より引用<正座の歴史>

さて、次に正座の歴史を少し考えて見ます。

正座という言い方が初めて使われるようになったのは、意外と新しく戦前の修身の教科書のようで、「正しい」と言う言葉を使っているのはいかにも修身らしく、それ以前は端座などと呼ばれていました。

外国でも、中国の秦始皇帝陵で出土した陶俑にも正座像が見られ、イスラム教徒のモスクでの座拝(正座)などがあり、正座は日本独自のものではないようです。

ところで、かつて日本の神々は現在のように神社に定在するものでなく、到来するものでした。おとずれるものであり、立ち現われるものであり、やがて元のところに帰って行くものでした。諏訪の御柱祭など全国のいろいろな祭で柱を立てたりするのは、神を招くための柱であり、柱を立てると言うことは、神の現われを示す象徴的な行為で、そのため神は一柱、二柱と呼ばれました。

しかし、平安時代の『延喜式』(前回の中で説明)の『神名帳』には三千百三十二座の神と「座る」と言う字を使って記されていますが、これはおそらく仏教の影響で、仏教がわが国に伝来によってそれまで無かったお社(やしろ)などが建てられるようになり、「訪れる神」からそのお社に「定在する神」になりました。柱として「立つ」神から今度は「座る」神へ、それと共に古代の一柱、二柱と言う呼び方が一座、二座という言い方に変化し、伊勢に「坐(いま)す」神や、出雲や熊野に「坐(いま)す」神と言うようになったようです。

平安時代男神像が座禅をする時の足の組み方である結跏趺坐(けっかふざ、松尾大社)と正座(熊野速玉大社)という両方の姿で現わされており、また同時代の絵巻でも男子は、「立て膝」か「あぐら」、女子は「横座り」など、様々な座り方をしていました。

また中世の絵巻物でも、まだ儀式的な場面でさえ座り方にまったく決まりがなかったように思われる様々な座り方が見られました。

室町時代でも正座の姿勢をとるのは、神前・仏前などで礼拝するとき、何かの儀式や目上のものに対するとき、などの場合に限られていたようで、一般には座る姿勢はあぐらや立てひざが多く、正座はほとんどしなかったようです。

江戸時代に入り、小笠原流作法によって正座が正式なすわり方とされたのは、八代将軍吉宗の時代以降といわれており、これが市民層にも普及したのは、江戸中期も後半になってからのことで、やはりこれも畳が市民層にまで普及した事にも関わっているからでしょう。

このように時代によって座り方が変って行った要因の一つに家屋の建築様式の変化と言う事があります。平安時代寝殿造りが、やがてすたれて室町時代頃に書院造りが広まりましたが、それと同時に畳が家の中に敷き詰められるようになりました。それによって正座が出来る下地が出来ていったようです。


http://www.navipara.com/column_r3/backnum/clmr3109_1.html
「モノがたり 第110回 正座」(ナビパラ.コム)


http://正座.seesaa.net/category/5625177-1.html
「正座研究所」(開明墨汁)より引用


「正座(元の字は「正坐」)は、日本の伝統的な正しい姿勢での座り方です。
しかし、江戸時代以前には「正座」という言葉はなく、「かしこまる」や「つくばう」などと呼ばれていました。

正座は日本に古くからある座り方である、と一般には思われていますが
その歴史は以外に新しく、正式な座法となったのは千利休が「茶道」を完成させ正座を基本として定めてから後のことで、そして それがさらに一般に普及したのは、明治以降のこと・・・。
つまり正座の歴史は たった100年ほどなのです。」


とあります。「正座の歴史は100年ほど」というのですから、意外に新しいものではありませんか、ねえ?