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よしなしごとダイアリー

日常のあれこれをああでもないこうでもないと考える

「暦と日本人」

「暦と日本人」(内田正男著)をひもとくと、



今使われている太陽暦に変えられたのが明治6年です。この辺りは実にあわただしく改歴のお触れが出たので、実は公務員の月給を1カ月節約するためだったと言われてます。



「明治5年の改暦の詔書によって、それら(暦注のこと)は妄誕無稽(もうたんむけい)として一挙に禁止され民衆の間からほぼ消えさっていった。迷信禁止の網の目をくぐり、明治10年代の後半ごろから、いつの間にか1枚刷りの暦などに恐る恐る登場してきたのが、この六曜なのである。」



六曜の由来

六曜星は暦には載っていなかったけれど、江戸時代に全然なかったわけではない。もともと、この原型は、多くの迷信と同様に、中国生まれで、中国で小六壬(しょうりくじん)と呼ばれていた。



小吉・空亡・大安・留連・速喜・赤口



の6つを今の六曜のように配していたが、根拠のない?迷信として中国では数百年も前に暦書から姿を消したものと言われている。

 これが鎌倉時代の末期頃に伝えられたのがすこしづつ字を変え、いつのまにか今のように変形してきたものである。ほぼ現在を同じものが出ているもっとも古い文献は延享4(1747)年編の『万暦両面鑑』であるが、仏滅は物滅と書かれている。



本書にこれからもたびたび引用する『循環暦』という有名な暦注解説書を、正徳2(1712)年に書いている小泉松卓の『頭書長暦』には、大安則吉の日取のことと言う項があって

大安(吉日)・立連(悪日)・速吉(善日)・赤口(悪日)・小吉(幸日)・虚妄(悪日)

の6つを六曜と同様に配当することになっていた。

 ずっと下って『安政雑書万暦大全』にも、仏滅が物滅になってる以外は現在と同じものが示されているが、他の暦注と比べて六曜の文献は大変少ない」



「旧暦で読み解く日本の習わし」によると、六曜の変遷は次の通り。



中国式六壬時課 大安(泰安)・留連(るれん)・速喜・赤口・小吉・空亡

日本 頭書長暦 大安・立連(るれん)・速吉・赤口・小吉・虚妄

日本 安政雑書 先勝・友引・先負・物滅・泰安・赤口

日本 現在の暦 先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口



赤口」というのだけはなぜかずっと変わってませんね。赤の字が入っているので、血を連想して刃物に注意と言われたりするそうですが、安政雑書によると、

「此の日もあく日なり、よろず忌むべし、ただし、うまのとき1ときさわりなし」

なんだそうです。

「うまのとき」というのは午前11時〜午後1時のあたりです。暦によっては『正午だけ吉』などと書いてあるのはこのためでしょう。


暦注が禁止になると暦販売の業者さんが書くことがなくなって困るので、こそーり六曜など拾いだしてきたわけです。旧暦だといまの7曜日と同様にが六曜が繰り返されるだけですが、太陽暦に組み込むことで旧暦の一日ごとに順番が変わるのが魔術的で由所ありげに見えて、人気を博しました。




むかし暮れの市や正月の露店で大人たちが「高島暦」などを買い求めるのを不思議に思いましたが、こういったものの需要ってあるんですよね。今は言論の自由がありますから、迷信だからと言って本の出版を差し止めることはできませぬ。